学び続けることだけは諦めない

バブル崩壊後に生まれた若者視点で観る世の中。諦める教育を施されてきたが、学ぶことだけは諦めたくない。

自分の「嫌い」で他人の「好き」を抑圧しないでほしい

こんにちは。青葉あまねです。

 

 好きなものってありますよね。趣味とか、人とか、はたまた思いとか。もちろん、食べ物や飲み物でもいいと思います。そういったことを自分が「嫌い」だからって他人の好きという感情まで抑圧する人多すぎませんか?っというお話です。

 

 最近Twitterとかでよく見かけるのですが、わざわざ相手のTwitterを探してまで文句を言いに行く人いますよね。大切なものを奪われたのかってくらいのレベルで。

相手の方が書いているイラストだったり考えだったりを、自分の感性と合わないから批判したり、バカにしたりする人。

 

ほっといたらいいじゃないですか。

それ自分の人生に関係ありますか?

あなたの「嫌い」という感情を他人に押し付けることは他人の「好き」という感情を邪魔してでもするべきことですか?

 

っと言いたいですね。

 

 昔、子供の頃学校上空を飛行している飛行機の話になったときに、僕は乗り物が好きだったので、「セスナ機のようなのがくるのでは」と言いました。「それってなに?」ってまわりから聞き返されるまではよかったのですが、「なんでそんなこと知ってるの気持ち悪い」まで言われました。そうするとまわりの子も寄ってたかって言ってきて「なんなんだこいつら」とおもった記憶があります。

 

 今では、「そんなことも知らんのか」とスルーできたり、知恵が回ったりしますが、当時はとても悲しい気持ちになりました。今でも記憶に残っているくらいには。

 

みんなと同じ「好き」でなくてはいけないのですか。

 

 他人の「好き」を否定する行為にはそれくらいの威力があると思います。

 そこからの他人の可能性を否定してまでする価値のあることですかね。

 イラストを描くのが好きな子がまわりに気持ち悪いと言われて、イラストを描くのをやめてしまったら、将来のイラストレーターを消してしまうかもしれませんよね。誰も得しないと思います。

 

人の人生を潰してまで言うべきことではないと思います。

嫌いという言葉には人の人生を潰す威力があります。

 

 そんな非生産的なことが起こらない社会のほうが生きやすいので、そして、楽しみなので、他人の好きを否定する行為は少し考えてからするべきではないでしょうか。

 

 もちろん、自分がその「好き」でおもいっきり迷惑を被るのであれば、否定したり批判して構わないと思います。でも、そうでないなら、気持ち悪いなぁっと思うまでは自由なので、それ以上は口にしないことに私は心がけていきたいなと思います。

 

 もっと寛容になりましょう。

 自分にとってのコスパもとても重要ですが、社会にとってのコスパも同様に考えてみませんか。

 

もちろんこの意見に賛成でも反対でも構いません。

批判するなと言っている訳でもありません。

「嫌いだから」という感情論で批判しないで欲しいと切に願うだけです。

 

青葉あまね