学び続けることだけは諦めない

バブル崩壊後に生まれた若者視点で観る世の中。諦める教育を施されてきたが、学ぶことだけは諦めたくない。

合理的に選択することは正しいのか。

なにか選択をするときに、合理的に考えることは本当に大切だと思っています。しかし、合理的に選択することは果たして正しいのか。最近はかなり疑問に思いつつあります。

 

「選択」と「考える」の違い……わかりづらいですかね。

個人的に考えているのは、

 

「選択」・・・決めること、そして行動すること

「考える」・・・もっとも合理的な手段を探すこと、選択の材料にすること

 

だという認識です。

 

この2つの違い。なにが問題になるかというと、合理的に選択すると、「意欲」がわかない問題が自分の中で発生しています。

 

たとえば、就職先などで、

「この環境でこの人達の間でこの業務をやれば、自己の成長が認められると考えられる。だから、ここで働こう」

となったとします。

 

しかし、ここに「意志」である「自分はやりたい!」がかけていると、やっている途中でとてつもない虚無感に襲われ始めてきました。なんのためにやっているのだろう。なんのために生きているのだろう。自分の居場所ではないのではないか。そのような意識が芽生え始めています。

 

なので、あくまで考えることは大切ですが、選択するとなると「もっとも合理的」ではなく様々なビジネス書籍で言われているように「やりたい!」で探したほうがいいのかもしれません。

 

なので、「やりたい!」の中でもっとも合理的な選択をする。このことが求められているのかもしれません。自分としては今後は自分の感情も加味しながら選択していかないとなーってつくづく思いました。

 

合理と感情それぞれどちらが欠けてもいけないもの。どちらにいいも悪いもない。感情論はあまり好きではなかったので避けていましたが、感情というものをもう一度見直してみるのも悪くないかもしれません。