学び続けることだけは諦めない

バブル崩壊後に生まれた若者視点で観る世の中。諦める教育を施されてきたが、学ぶことだけは諦めたくない。

価値観を言語化する大切さ

こんばんは、青葉あまねです。

 

 昨今は、価値観が多様化する時代と言われて長いですね。

 個人的には、価値観が多様化しているのではなく、インターネットなどの技術進化によって個人の意見が目に見えるようになってきただけだと思っています。「みんな同じだと思っていた」幻想と勝手に呼んでいますw

 

 さて、その価値観なのですが、最近、言語化していかないとわからないなと思うことが増えました。自分がした選択には必ず価値観が反映されているはずなのですが、なぜその選択したのかを明確に言葉にすることができていない。なので、最近はなぜ選択したのかをメモするようにしています。

 

 特に自分の人生や人に関わることは言語化するようにしています。人生や人付き合いは一回の選択で終わるものではなく、継続して行われており、さらに言うと他人に影響があったり、未来の自分に対してとてつもない影響があったりするものだと思っています。

 

 そのように継続して選択の影響下にいると、「なぜこの選択をしたのだろう」ということが頭の中に浮かんできます。そこで、その選択が明確であれば、人に説明もしやすいですし、だから、自分はこうしていると自信をもつことができます。

 

 しかしながら、あやふやなままだと、なぜこの選択をしたのだろう?なぜ今こうしているのだろう?と疑問が疑問を産み、悩みの大洋から抜けれなくなってしまうことがあることに最近気づきました。かなり遅いですがw

 

 まぁ、遅くても気づくことはできたので、これを改善するべく、「言語化する」という作業を今行っています。そうしていくと自分は人付き合いにおいてこういう判断をする傾向にあるんだなどとわかってきます。たとえば、自分は「一度できたつながりを大切にする」や、「自分を慕ってくれる人に対してできることはすべてする」というポリシーをもっていることに気づきました。

 

 だからこそ、人付き合いの幅は広げないが、できたつながりはできるかぎり継続させる。だから、友達の数は少なくとも、信じることのできる人間は多い。という現状も把握できるようになりました。頭の中でわかりきっていたことでも、言葉にしてみると、重みが違ってくるように感じます。

 

 こういったことを繰り返していけば、いずれ自分の価値観と上手く付き合っていくことができ、それが自分とうまく付き合っていくということにつながるのだと感じています。

 

そして今は、この言語化していく過程がとても楽しくなっています。また、これによって、自分だけでなく、他者との違いを認識しやすくなり、互いに生きやすくなればと勝手に思っています。

 

 

青葉あまね